生徒会歌の成り立ち
                  平成17年 6月 13日 (月) 朝礼の話  田口 美郷 先生 (教育実習)

 おはようございます。今日私がここに立ったのは皆さんに伝えたい事があったからです。私は今教育実習生として来ていますが,実はここ扶桑北中学校を平成11年度に卒業した皆さんの先輩でもあります。今日は皆さんの先輩として少し話をしたいと思います。
 皆さんは,「那須啓一郎」という名前を知っていますか?扶桑北中学校の生徒会歌を作曲した人です。毎週月曜日に生徒会歌を歌っていますよね。2週間前の朝会で生徒会歌を聞いたとき,本当に嬉しく思いました。3部合唱になっていて,手話も付いていて,毎週朝会で歌われていて・・・・とても大切にされているんだなと感じてすごく嬉しかったです。
 この生徒会歌に込められた思いについて話します。私が那須先輩と出会ったのは,私が中1で,那須先輩が高2の時でした。那須先輩は,中学生の時,癌にかかり片足を切断しました。片足をなくして大好きなバスケットボールができなくなってしまった先輩は,高校で吹奏楽部に入り,中学校の吹奏楽部にも遊びに来てくれました。吹奏楽部に所属していた私は,片足でピョンピョン跳ねながら階段を上がってくる先輩にとても驚きました。何もなかったかのように部活動に遊びに来て,トランペットを吹いたり自分で作曲したと言ってピアノを弾いたりしていました。帰りは,片足で元気に自転車をこいで帰っていました。そんな明るい先輩に部員全員あこがれていました。
 そして,たまに学校の帰り道で見かけることはありましたが,しばらく先輩の姿を見かけなくなりました。そして月日は流れ,私が中3の入試も終わった2月頃,突然電話がかかってきました。はじめ誰だか全然分かりませんでした。声が全く変わっていたのです。それは那須先輩でした。「今,入院している。渡したい物があるから,病院に会いに来て欲しい・・・」と。しかし,学校の授業があり,私は会いに行けませんでした。・・・その晩那須先輩は亡くなられました。癌が肺に転移したのだそうです。通夜の際,那須先輩のおばさまから,先生や私たちに「この曲をよろしく・・・」と言われ,きっと渡したかったカセットテープと楽譜を渡されました。先輩の担任だった先生方,先輩の同級生の方々そして私たち後輩,皆でその曲について話し合いました。
 その時渡された曲が,扶桑北中の生徒会歌なのです。当時中3の私たちは,後輩に歌詞を募集をして卒業していきました。その後,何代もの生徒会がこの曲を発展させてきました。歌詞が付き,ピアノ伴奏が付き,3部合唱になり,手話が付き・・・。今まで歌い継がれてきています。いろんな人のいろんな想いが詰まった生徒会歌です。これからも北中全員で大切にしていって欲しいと思います。そしてこれから先ずっと北中の伝統として伝えていってください。